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3-3.雨の中の逃走
 雨の降る中、フィオスは後ろを気にしながら、薄暗い森の奥へと走っていた。
 その先に何があるか彼は知らない。しかし、こうして突き進まなければ、彼の命はここより手前で絶えていただろう。

 迷いが彼を窮地に立たせた。目の前に現れた謎の生物の集団を見て、少年は感じる必要のない罪悪感を感じてしまったのだ。
 当然、迷いはすぐに否定したが、その一瞬の迷いが彼の行動を遅らせ、逃げるという選択を強いられることになった。気が付くと、謎の生物の集団が彼の背後に迫っていた。
 彼は地図さえないまま、森の奥へと走って行くしかなかった。

 走りながら、フィオスは一瞬の迷いを後悔していた。
 エンカウントした時から戦闘を開始していれば、大勢の生物に追いかけられることはなかったはずだ。
 今なら戦える。今なら迷いを振り切って戦える。
 しかし、今そう気付いても、状況は既に間に合わない所まで悪化していた。フィオスがここで走るのをやめて戦闘を始めた所で、数の暴力に屈することはわかっている。今まで走ってきた分の体力も消耗している。
 そして、森の奥へ進めば進む程に謎の生物の数が増していた。少年ハンターは絶望的な状況の中にあった。


 フィオスは緑が深くなって行く森の奥を目指して走った。その先に何があるか、今日初めてこの森に降りた彼が知るはずもない。
 しかし、木々の間からチラチラと見える白い建築物に、少年は見覚えがあるように思った。
 そうだ、あれはパイオニア計画関係の本で何度も見たことがある。
 パイオニア1はラグオルに住居を構える為、セントラルドームを地表に建てる計画をしていたはずだ。
 フィオスはセントラルドームを目指して走ることにした。きっとそこまで行けば逃げ切れる。後は居住区に配置された警備兵が化物を一掃してくれるに違いない。

 その時、ふとフィオスは違和感を感じた。後ろを振り返ると、今まで追ってきたはずの化物の姿が見当たらない。
「まいた……のか?」
 息を切らしつつ、フィオスの足はゆっくりとその速度を落とした。注意深く辺りを見回すが、奇妙な生物らしい姿はとこにもない。
「そういや……あの化物、動き鈍かったよな……」
 フィオスはそう呟くと、木々に囲まれた一帯を選び、雨に濡れているのも構わずに地べたに座り込んだ。彼は体力に自信があったが、精神的な疲労が大きいのか、ぐったりとその場に項垂れていた。

「やばい……やばいぞ、ここ。化物だらけじゃないか……」
 フィオスはうなじに霧のような雨が当たるのを感じつつ、独り言を呟いた。
 父の言葉は正しかった。どういう経緯で父がそれを知ったかはわからないが、惑星ラグオルは夢の楽園などではなかった。
 そして、彼の中で先程のような余計な感傷などは既にない。この星の生物は間違いなく、こちらの存在を感知次第攻撃して来る。パイオニア1の報告とは真逆の反応を示して来たのだ。
 何かが頭の中で引っ掛かる。しかし、今は余計なことは考えずに、前へ進むか、帰還するかの、確実に生き残る方を選択せねばならない。


 フィオスは休憩もそこそこに、この危険区域から離脱するべく立ち上がった。そして、木々を分け入って更に奥を目指そうとした時、彼は自分がとんでもないミスを犯していたことに気付いた。
 彼の目前に並ぶ木々は複雑に枝や根が絡み合い、見るからにこれ以上の前進が難しい。雨に煙る蒼の深さに視界を奪われ、フィオスは判断を誤ってしまったのだ。こんな逃げ場が一方にしかない所で敵に出くわしたらどうなるのか、考えずともその答えは明らかだ。
 フィオスは来た道を走って戻った。もしあの化物達がまだこちらを追い掛けていて、この道に入ってしまったら……それは一貫の終わりだ。
 そして──その時はフィオスが思っていた以上の早さで訪れた。

 道を塞ぐように現れた謎の生物の集団。フィオスの後ろに道らしい道はない。
「──ッ!!」
 フィオスは声にならない激しい呼気を吐いた。咄嗟に身構え、掌に再び現れる緑の光。しかしその獲物は、今度は何体仕留められるだろうか。
 謎の生物がゆっくりと近付いてきた。右……左……まだ希望を失っていない碧眼が、ゆっくり近付く絶望を見据える。先に彼の元へ到達するのは……
「右ッ!」
 フィオスは一声上げて槍を薙いだ。集団に追い詰められる中、それでも一歩前に出て斬り裂く勇気を、この小さい戦士は持っていた。が、この数を相手にするには、彼は余りにも若く、そして未熟と言えた。

 次に、左から襲い掛かる爪を、少年ハンターは咄嗟に槍の柄で捉えた。しかし、今度は右から、地に伏した化物を踏み越えて現われた新手が、腕を上げて襲い掛かって来る。
 ハンターはその攻撃もすんでの所で交わした。そして、振り下ろされた腕の逆の脇に素早く位置取り、ハンターの左の肩甲を打撃に見立てて体当たりをかました。突如脇の下から突き上げられ、化物がよろめく。
 ハンターはその動きを目で追いつつ、腰を落として更にその懐に入り、敵の体を盾に見立てて、更に後ろに続く敵からの攻撃を交わした。

 ──そのはずだった。
 彼の狙いは化物の体を盾にしつつこの場を切り抜けることだったが、矮躯な少年にその判断は懸命ではなかった。ヒトの体躯をゆうに超える化物を押し返す力などこの少年が持ち合わせているはずもなく、いとも簡単にその下敷きになってしまった。
「ふっ……グ!?」
 小さな身体に凄まじい圧迫感が圧し掛かる。そして、地に倒れた時の衝撃で、少年は息をひとつ大きく吐き出した。まるで体内の空気が上からの圧力で全て抜けてしまったように。
 が、幸いなことに、プロテクターが自動防御を発動させて衝撃を抑え、ハンターの身体に損傷はなかった。
 しかし、上からの圧力が徐々に増していく。フィオスを押し潰す化物の上に、更に別の化物が覆い被さっているようだ。このまま重量が増え続ければ、彼のプロテクターは破壊され、このデカブツ達の下で少年が圧死するのは時間の問題だろう。
 フィオスは獣臭い重量の下で、空気を求めてもがいた。が、彼の肩は上下するものの、その体内に空気が入って来ない。上からの圧力もそうだが、彼の眼前には化物の雨に濡れた硬くて太い毛があり、その脇に少年の頭がはまる形で口が塞がれていた。

 フィオスは焦った。
 耳に入ってくるのは、化物の低い唸り声と、プロテクターの限界が近いことを示す警告音。
 まさかこんな所で、化物に押し潰されて死ぬ──?
 こんな馬鹿げた、こんなマヌケな死に方で?

 フィオスは既に息も絶え絶えという状態だった。
 化物の体臭と泥の臭いが混じる不快な淀みの中で、視界が徐々に霞んでいく……
 本当にこんな所で、自分は果ててしまうのだろうか? 行方不明の姉を見つけることもできず、ラグオルの異変を誰に伝えることもないままに、本当にこんな所で……?
 フィオスは自分が情けなくて、泣きたい気持ちで一杯だった。最初の迷いさえ振り切っていれば、こんなことにはならなかったはずなのに……



 その時だった。
 フィオスは自分の体に熱の熱さが伝わるのを感じた。プロテクターがある程度その熱を防いでくれているようだが、剥き出しになっている額辺りに相当な熱さを感じる。
 これは──テクニックによる炎の熱さだろうか?
「大丈夫か!?」
 その声と共に、今度は自分の上方で剣が振り回されるような音がした。そしてその音に混じって銃声と、炎が飛んで来る音が聞こえてくる。
 そんな音だけのやり取りがしばらく続いた後、ふっと上からの圧迫感が和らいだ。

 化物から開放されたフィオスの目にまず飛び込んできたのは、雨雲の低い灰色の空。そして、こちらを覗き込む3人の見知らぬ顔。
「少年! 生きてるか?」
「早く。回復を」
「今やってるよ! ほらっ! ほらっ!」
 3人が同時に喋り出した。誰が何を言ったか、意識が混濁していて、フィオスには区別がつかない。

 フィオスは大剣を背負った青年ハンターに体を抱き起こされると、近くの木に寄り掛かる形で座らされた。小さなハンターは顔面蒼白、息も絶え絶えで、とても言葉を交わせる状態ではない。
 そんな彼の傍らにはニューマンと思われる耳の長い青年が座り、回復テクニックを繰り返し掛けている。それにより、きしむような体中の痛みが徐々に和らいで行った。と同時、少年の顔にできた擦り傷が見る見る塞がって行く。
 先程まで困難だった呼吸も今は普通にできるようになった。蒼白だった顔も徐々に血の気を取り戻していた。


 フィオスは木に背を預けたまま、眼前のハンターズの様子をぼんやりと眺めていた。ようやくそれぐらいはできる余裕ができたようだ。

 まず目につくのは、オールバックに後ろ髪を大きく巻いた珍妙な髪型のニューマン男。彼は頭にゴーグル、左耳に厨二デザインのピアス、そして踵の高い靴を履き、胸元にひらめくスカーフが何とも鬱陶しいゴキゲンなコーディネイトである。ニューマンのフォース達は奇抜なデザインの服を着ていることが多いが、彼の場合、間違いなく趣味でやっていると思われる。

 そして、そこから少し離れた所に、銃を構えた女性型アンドロイドが立ち、周囲を警戒しているのが見えた。
 彼女は全身が銀色に覆われ──というよりは、剥き出しの鋼の色をそのまま誇示するようなボディカラーで、洗練された痩躯と相まって、刀剣のような鋼鉄の美しさをその身に漂わせていた。何とも不思議な雰囲気を持つアンドロイドである。

「大丈夫か? 腹減ってないか? 水飲むか?」
 大剣を背負ったハンターが、心配そうに話し掛けてきた。
 パッと見さほど強そうに歯見えないが、中肉中背のその身は筋肉で引き締まり、よく鍛えているのが防具の上からもわかる。年の頃は20代前半といった所だろうか。
 そして、穏やかな森の色をした逆立った短髪と、人の良さそうな灰色の瞳。そんな男から向けられる気さくな笑顔に、少年は本当に助かったのだとやっと安堵することができた。


 フィオスは男の質問にまだ言葉で返すことができないのか、ただ首を左右に振った。
「あ、こっちの方がいいかな?」
 男はそう言うと、自分の左腕の端末を起動させ、アイテムパックから小型のアンプルを取り出した。そして、容器の先を折ってそれを少年の口に運んでやった。フィオスは喉から胸の中へと落ちる甘さに咽そうになったが、何とか回復液を飲み込んだ。即効性のあるソレは体内に入ると、疲れ果てた体を癒し、少年は自分の身体に活力が戻るのを感じた。
 するとそこへ、男とは逆の方向から安っぽい水筒が差し出された。
「それ、甘ったるくて飲みにくいんだよな。これも飲んどけよ」
 そう言いながらニューマン男が笑う。見た目はアレだが、こいつも案外いい奴なのかもしれない。
「……うん」
 フィオスはやっとそう答え、水筒に口を付けた。意外なことに、疲れ果てた体に美味いのは、回復液ではなくただの水だった。
「助かって良かったな。おまえ、もう少しでペチャンコになる所だったぞ」
 ニューマン男が冗談ぽく笑った。その言葉にフィオスも笑って答える。
「……お陰様でペチャンコにならずに済みました。ありがとうございました」
 声に生気が戻ってきたのを聴き、傍に控える男ふたりが安堵の息を漏らした。

 と、そこに、電子的な高周波混じりの女の声が飛んできた。
「狩りができた。アナタのお陰」
 フィオスは複雑そうな顔をした。女の言っている意味がイマイチよくわからない。
 その表情を読み取ったのか、女レンジャーは付け加えた。
「エネミーを集めた。よって。一掃できた」
 一応礼を言われたようだが、嫌味を言われたようにしか聞こえない。フィオスは耳障りな電子音も気になって、余りいい印象をこの女に持てなかった。
「死に掛けてたんだぞ。そんな言い方はないだろ」
 ニューマン男がアンドロイドに食って掛かった。しかし彼女はそれが聞こえてないように、そっぽを向いてそれ以上何も言わなかった。
 ニューマン男は眉根を寄せる少年の表情に気付くと、話しづらそうに説明し出した。
「おまえが……まぁその……エネミーを集める形になってさ。それを俺達は追い掛けて討伐して回ってたんだよ。」
 そういえば、逃走中に敵の姿が見えなくなった時があったとフィオスは思い出した。あれは彼等によって、エネミーの何体かがあちらへ引き付けられていたのかもしれない。
 しかし、当時の状況はわかったが、やはり女レンジャーの発言は鼻に付くものがあった。いくらアンドロイドとはいえ、死に掛けてた相手に敵を集めてくれたと礼を言うのは余りに無神経すぎる。
 そこへ青年ハンターが苦笑いをしつつ、フィオスに説明を付け加えた。
「彼女のこと、気にしないでくれるか? アイツ、年季の入ったアンドロイドらしくてさ。感情表現が乏しいのはそのせいだと思う」
 年代もののアンドロイドならば仕方ない……とフィオスは一応思うことにした。が、彼女の発言のせいで、少年の中のアンドロイドのイメージは最悪なものになっていた。全てのアンドロイドが彼女のように振舞うとは思わないが、所詮心を持たない存在。彼等に周囲への配慮を求めてはいけないのだと学習した。

「皆さんは知り合いですか?」
 フィオスは3人に尋ねた。
「全員、今日森で出会ったばかりの初対面だよ」
 ニューマン男が答えた。
「……の割には、あのヒトのこと、詳しいんですね」
 フィオスは青年ハンターを見た。
 この人の良さそうな糸目の男は、無神経な発言をした女アンドロイドを擁護するようなことを言っていた。それは周囲に対する配慮と取れるが、悪く言えば八方美人的な対応とも取れる。そういう意味では、アンドロイドに食って掛かったニューマン男の方がフィオスは親近感が持てた。
「彼女自ら自分のことを話してきたんだよ。オマエも聞いただろ?」
 青年ハンターがニューマン男に相槌を求めた。
「その話、俺聞いてないっすよ!」
 ニューマン男が声を上げる。が、すぐに何か悟ったのか、呆れ顔でアンドロイドを一瞥すると、それ以上何も言わなかった。どうやらニューマン男と女アンドロイドの間には何か確執があるらしい。

「それよりさ」
 ニューマン男は気を取り直し、フィオスに話を切り出してきた。
「良かったら、俺らと来ない?」
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